我、京大生ぞ

現役京大生の雑記。メインテーマは大学受験とプログラミングと英語と京大の日常

Phaさんの「しないことリスト」が素晴らしすぎたので紹介する【書評】


こんにちは、京大生ブロガーのゲーテ(@goethe_kyodai)です。



先輩である京大卒ニートのPhaさんの「しないことリスト」を読んでとても感銘を受けました。この本を3行で説明するとこんな感じです。
 
 

  • 呼んだら肩の重荷が外れる、気持ちが楽になる
  • こんな楽に生きていいんだって思う
  • まるで聖書のような読んだら救われる本

 
 
本当に読んで気持ちが楽になります。救われすぎて皆さんにもシェアしてもらいたいので、内容をいくつか紹介してみます。


目次

 
 



独占しない

僕が何か新しいことを始めるときに、気をつけていることが二つある。それは「自分のやりたいことを自分のペースでやる」ということと「ゆるく外に開いておく」ということだ。

なんでも崇高な理念だけじゃ長くは続かないもの

本当にその通りだと深く頷きました。このブログも何か崇高な理念(収益10万など)を掲げて、それを書くことで実現するようなスタイルだとこんなには続かなかったでしょう。


誰にも強制されることなく自分の書きたいものを自分の書きたいペースで書くのが一番ですね。
 
 

元気でいつづけない

ずっと途切れなく活発に活動していると、疲れたり無理が溜まったりして潰れてしまうから、定期的かつ強制的に休む時期があるのはよい。

病死の症状というのは体が自分に教えてくれるSOSみたいなものだから、不調には逆らわず、病気のときはゆっくり休んだほうがいい。

日本の社会人の多くの人はこの言葉を聞いてハッとするのではないでしょうか。知らないうちに疲れというのは溜まっています。


自分で大丈夫だと思っていても、体は大丈夫じゃないことが往々です。


自分が社会人になったら、不調の時は休むことが当たり前の環境で働きたいですね。

大きくみせない

自慢をしないほうが、人に反感や妬みを持たれないので得だ

自分をわざわざ大きく見せることをしなくても、自然な自信を持てるような状態を目指していこう。

 
 
自慢という行為は、自分を大きく見せるどころか逆に小物という印象を与えてしまうことがあります。


本当にすごい人は、そもそもわざわざ自分で自慢をする必要がないのでしないです。本当にすごいなら、自分でわざわざしなくても周りの人がその人の評判を噂してくれるからです。
 
 

自分でしない

人は結構何かを頼まれたがっている

人は本質的に孤独だからなんだろう

なんでも一人で抱えてはいつか抱えきれず爆発します。人に頼って苦楽を分散するのがいいでしょう。


僕は高校までの勉強では分からないところなどありませんでしたが、大学に入ってからいくらでも出てくるようになりました。


高校までは基本一人でできてたので困ってましたが、自分で考えても分からないところはできる友達に教えてもらうことで数々のテストを切り抜けてました。


逆に僕が得意なところは教えることもあります。こうやって得手不得手でタスクを友達と分けてやる方が、気も楽だし効率もいいし単位も取れるし何もかもハッピーです。

一箇所にとどまらない

何かに行き詰まったり、何かを変えようと思うときは、「気持ちを入れ替えてがんばろう!」と精神論で自分を変えようとするよりも、まわりの環境を変えたほうがいい。


根性論が蔓延ってるこの日本で大声で伝えたいことです。「やる気」や「根性」なんてあってもどうしようもならないことが世の中にはたくさんあります。というかやる気なんて相応しい環境に変えれば勝手についてきます。


僕は浪人をしてましたが、勉強のやる気のない日でも、自習室に行って、勉強に集中してる同世代の人たちに囲まれれば、勝手にやる気は出てきました。


環境というのは本当に大切で、「努力」や「才能」と同じくらい大切だと思います。

すべてはポジショントーク

人間は自分のポジションを基礎にしてしかものを考えられないので、ポジショントークを肯定的に捉えることが大事だと思う。

ツイッターなどで色んな頭のおかしい人の頭のおかしい発言を見て見て、気づきましたが、人は皆、ポジショントークをしているだけなんですね。


最初気づいた時は、ポジショントークする人間をくだらなく思ってましたが、このPhaさんの言葉を知って、ごく自然な人間がするごく自然な行為だと許容できるようになりました。


みんな、自分の人生の主人公は自分であり、世界の中心は自分です。だから自分中心のポジショントークをするのはごく当たり前なんです。

自分の実力にしない

 

 

成功した人が、「自分の成功はたまたまじゃなく、自分が努力したからだ」
「成功してない人は、努力が足りないだけなのだ」ということを信じたいためにそういう物語を好むからだ。
「本当は、人生は運や環境によって決まっている部分も多い」ということを認めたくない、という後ろめたさがその裏にはある。

 

成功したときは、たまたまうまくいってありがたい。
失敗したときは、たまたま運が悪かったのでしかたない。

 
 
本当にその通りです。謙虚に生きようと思いました(小学生並みの感想)。
 
 

何かのためにしない

何かをするときは、「それが何の役に立つか」を考えるよりも、そのこと自体を楽しむのが健全だ。



半年ぐらい「将来の役に立つ」という理由で、英語やプログラミングを毎日必死に勉強してた時期がありました。朝から晩までスキマ時間に何かしらの勉強をしてました。


英単語を毎日何個か覚えてリスニングも何時間か勉強して、プログラミングを毎日書く。そんな日々は外から見ると充実していて、一歩一歩成長してる実感もありましたが、楽しくはありませんでした


充実してるはずなのに、なんか疲れてしまい結局今は英語もプログラミングも勉強しておりません。やっぱり「楽しむ」という動機に勝るものはないと実感しました。
 
 

議論しない

議論が得意な人は優れているというよりも、単に議論というスポーツに勝つことが好きなだけということに気づいたからだ。

要は単なる趣味の問題だ。そもそも現実世界では、議論に勝ったとしても物事はあんまり動かない。

 
 
自分はよく議論するタイプで、この言葉を聞いたとき目からウロコでした。確かに勝ったときに優越感や爽快感は生まれますが、生産的かと言われるとそうでもないですね。
 
 

突き詰めない

生きるにあたって何か思想や信念を持つのはいいのだけど、あまりにもその思想や信念を完璧に実行しようとすると大体破綻する。
どんな素晴らしい思想でも、原理主義は行き詰まりやすい。


京大入試という大きな目標を達成した入学後、京大入試突破のような「大きな人生目標」を探していた時期がありました。


あれをやってみたりこれをやってみたり、色んな本を読みましたが、見つかりませんでした。


見つかりませんでしたが、自己啓発本を読み漁る中で、本が教えてくれたのは、「目標なんてなくていい」 ってことです。


だから今は「なんか目標を達成するための」英語やプログラミングの勉強はやめて、やってみて面白そうなこと・楽しそうなことに色々手を出してます。


ブログ、Youtube、出会い系.....などです。


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