我、京大生ぞ

現役京大生の雑記。メインテーマは大学受験とプログラミングと英語と京大の日常

「勉強すれば誰でも東大に入れる」という幻想


こんにちは、京大生ブロガーのゲーテ(@goethe_kyodai)です。


「勉強すれば誰でも東大に入れる」


とかいう幻想を信じちゃったりしてないか?(笑)


そんなのは大嘘である。


何故なら


定員


というのがあるからである。


東大は毎年3000人という限られた人数しか入れない。


(文部科学省のサイト)によると高校生の人数は327万いる。一学年の人数が等しいとすれば、一学年の人数は327万÷3 = 109万人である。


109万人が全員東大を目指すと仮定し、何浪してもよくて、東大を退学して入り直せないとすれば、全員入るのに109万人 ÷ 3000人 = 364年かかる。


人間の寿命は100年も行かないので、誰しもみんなが東大に入るのなんて到底不可能であることがお分かりいただけてあろうか?


環境•才能•運に恵まれ、そしてさらに努力を惜しまなかった、選ばれし3000人しか入れないのが東大である。


これが現実だ。「誰でも東大に入れる」というのは幻想に過ぎない。


そして「誰でも東大に入れる」というのは危険な思想だ。「誰でも」ということは、「東大に入れなかった人は努力不足なだけ」、もっと過激になると「東大に入れなかった人は人間ではない」という結論も導かねない。


東大生がよく言う「誰でも」には残念ながら世の中の8割の人間は入っていない。除外されている。


「(塾代や授業料を払える家庭環境に生まれ、高校の勉強内容を理解•応用できる頭脳に恵まれ、さらに努力できる人なら)誰でも東大に入れる。」と読み換えるのが正解だ。


東大に合格する人のパターンを下の図に表してみた。


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環境というのは進学校や塾や家庭の財力、才能というのは頭の良さや数学のセンスなどを指すと思ってくれればいい。


まず最低限の努力•環境•才能が必要だ。これはどの東大生でも同じだけ持ってるが、普通の人がここまで達するのは簡単じゃない。


そしてそれだけでは受からない。


本番はどの問題が出るのか基本的にはわからない。苦手な分野が出れば点数は取りにくいし、得意な分野が出れば点数が取りやすい。このように本番の試験には運が絡んでくる。それはもちろん人によってまちまちであり、ここから人によって変わってくる。


そして運が良かったところで受かるというわけではない。


そこから東大合格までのギャップを才能努力で埋めなければいけない。


才能と努力の比は人によって様々である。東大生Cのような人は主に努力で点を取り、東大生Aのような者は主に才能で取っていくが、どちらかが0だと受かることはできないだろう。


これが東大受験の真実である。


たまに東大生がテレビで「勉強せずに東大合格した。」とか「努力はしたことない。才能だけで受かった。」などと宣っているが、全てである。


インプットがなければアウトプットはできないので、勉強せずに合格するのは不可能だ。そして努力というのは勉強ということなので、努力せずに受かるのは不可能だ。


そもそも東大合格者と一般人とでは、「勉強した」と言える基準が全然違う。同じ1時間の勉強でも、東大合格者には「勉強してない」と感じられ、一般人には「めっちゃ勉強した」と感じられる。


「受験期の一年は勉強せずに合格した」というのもよくいうが、全然すごくない。なぜならそういう東大生は大抵私立中高一貫校であるからだ。


大学受験の勉強というのは、何も受験期の一年分だけを指すものではない。小学校から高三までの合計分なのである。


私立中高一貫校の彼らは、小学校高学年から中学受験のために塾で勉強し、受かってからも塾に通い続け、塾と学校の宿題をこなしている。


その合計の勉強量でいえば、一般人のそれよりはるかに多い。彼らもそれなりに努力しているのである。自分を天才タイプに見せたくてイキってるだけだ。


そもそも「勉強時間」なんてものは他人には測りようのないものだ。親でさえ子供の勉強時間など検証できないだろう。受かった後からどうとでも言える。そこを利用し、さらに東大という権威をも利用し、ホラを吹いてイキってるだけである。諸君も騙されないように。