我、京大生ぞ

現役京大生の雑記。メインテーマは大学受験とプログラミングと英語と京大の日常

僕の将来に対する唯ぼんやりした不安



こんにちは、京大生ブロガーのゲーテ(@goethe_kyodai)です。


自殺予告記事じゃありません(笑)


(タイトルの「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」は、芥川龍之介の遺書に自殺の原因として書かれていたことで有名)


ここ数日、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」が襲い、胸がざわざわして落ち着かない日々が続いている。


筋トレしたりブログを書いたり人と話したり、つまり「思考停止」をして、その「ざわざわ」をかき消すのに努めているが、中々消えないのである。


そのざわざわの正体を、自分は熟知している。


会社や学歴に依存せずに食っていけるのか?


という将来への不安である。


僕の大学は、京大であり、日本2位の大学だ。


そして、僕は理系である。


京大に入った当初は、学歴と理系の専門知識を活かして、


京大 → 大企業


という安定したルートを目指していた。


学歴と大企業の名で合コンで女の子を釣ってウハウハだ!


と思っていた。


大企業は、社員も優秀だし、有給もしっかり取れ、残業も少なく(というか、長く残業するのが規制されてる)、会社自体も安泰だ。


と思っていた。


だが、毎日のようにTwitterで目に入ってくる大企業の実態はなかなかひどいものである。


大企業の名に守られただけの、技術力のない中堅社員や、無能なのに首を切られない定年間近のおっさん達。


彼らは他でやっていけるスキルはなく、彼らの「安定した社会人生活」とは、その会社での「安定」であって、どの会社でもやっていけるという意味での「安定」ではないように思える。


確かに、有給や残業の少なさは本当のようだが、「大企業なら会社自体も安泰」というのは、大ウソである。


日本の大企業の売りであった「終身雇用」も、余裕がなくなって崩壊しつつある。


GoogleやApple、AmazonやFacebookなど、ここ10年〜20年で生まれた「パッとでの企業」が、指数関数的に急成長し、食われた創業何十年もある老舗の企業には枚挙にいとまがない。


「ジャパニーズトラディショナルカンパニー」、いわゆる日本の大企業が、あと10年後や20年後も今と同じように生存している保証は全くない。


技術の進歩とは恐ろしいもので、AI然り、仮想通貨然り、これまでの人間に営みを一変させ、不要な仕事や企業を大量に作り出してしまう可能性を秘めている。


技術の進歩が、既存の仕事や企業を駆逐してしまうのである。


そして、「偽りの安泰」を売り出す日本の大企業には入れたとしても、やらされるのは、クソつまんない仕事だ。


それは、最近話題になった「新卒で入ったホンダを3年で退職した記事」にも見ることができる。



honda.hatenadiary.jp



本なら、「ウォールストリート投資銀行残酷日記―サルになれなかった僕たち」「「やりがいのある仕事」という幻想」を見てみるといい。



日本の大企業の実態を知れば知るほど、大企業に就職して匿ってもらい、安定の人生を送ろう!という気が失せていった。


そして、日本において「学歴」が安定を意味するものとはとても思えない。


日本は、学歴社会と形容されることもあるが、欧米諸国や中国や韓国に比べれば、全然学歴社会ではない。


学士と修士とでは、待遇の差をつけている企業は多いようだが、理系が中心で文系は少ないだろう。


そして、修士と博士で、待遇に明確な差をつけている企業は少ない。


どこの学部でどこの学科に属し、何の勉強をしていたかは就職・転職において往々にして関係ない。


つまり、教育機関にも関わらず、大学での勉強の内容は就職に関係ない。不思議なことである。


大学で何の勉強もせず、サークルや酒に明け暮れたような人間でもコミュ力と人当たりの良さでいい企業に入れてしまう。


これは文系において顕著だ。


大学での勉強の内容は関係ないにも関わらず、大卒と高卒の待遇の差はかなりある。正直、特に文系では大卒と高卒に差がそれほどないように思える。


欧米諸国、中国や韓国に比べれば、日本の「大卒」の資格は何の意味もないように思え、すでに崩壊しているとさえ感じられる。


日本がこんな状況なので、「これからは就職では大卒・高卒なくなるよ!」と突然なってしまっても不思議でない。


そして、数年後に企業の就職ルールが撤廃され、大学1年からでも働けるようになるらしい。


www.businessinsider.jp


新卒一括採用制度が廃止され、就職後にスキルをつけるという考えが無くなれば、本格的に学歴が意味をなさなくなる。


学歴も大企業も安定をもたらさず、頼りにならない。


ならば、フリーランスか。


僕がTwitterでフォローしてる人には、生計を立てる、いやそれ以上に稼いでいる人たちがたくさんいる。


好きな時間に起きれてるし、旅行やイベントに行ったり楽しそうだ。それでいて、普通の会社員より稼げている。


まさに僕が求める生活を送っている。


しかし、そこには生存者バイアスがかけられていて、彼らはフリーランスのうちの成功したのでほんの一握りでしかない。


フリーランスになって思うように稼げずに借金を抱えてしまったり、普通に会社員に戻ったりする人はたくさん観測される。


インフルエンサーやプロブロガーは、そんな彼らの屍の上に立つ存在なのである。


フリーランスで成功してる人は、フリーランスになってから成功したのではなく、成功したからフリーランスになっているパターンが大半だ。


フリーランスで比較的安定を手にしてる人たちは

・数万人〜数十万人のフォロワー

・月収100万以上を稼いだ実績、月収100万以上を稼ぐ能力

のいずれか、または両方を持っている。


僕にはどちらもない。


そして、持っていたとしても、大企業同様に何十年も安定とは決して言えない。


ブログの収益化を初めて見たが、月数万円程度しか稼げていない。親の援助で大学生として生活できてるが、親の援助がなくなって、いざその瞬間フリーランスになった時に、僕には生活費+家賃を稼ぐ能力がまだない。


今フリーランスになっても、借金を抱えるか、野垂れ死ぬか、どっちかであるだろう。


これが僕の「将来に対する不安」核心である。


僕の観測範囲内では、世の中の仕事には


1:大企業・高給・比較的安定だがつまんない仕事

2:中小企業・低給・比較的安定だがつまんない仕事

3:フリーランス・低給・不安定でつまんない仕事

4:フリーランス・高給・不安定で面白い仕事

がある。


1、2、3が嫌な僕は、4になるしかないのだが、さっき言ったように、数万人以上のフォロワーと月100万以上稼ぐ能力がない。


その2つを兼ね備えてはじめて、つまんない仕事をせずに面白いことをできるのである。


その2つを兼ね備えているフリーランスは「強者」であり、今はまだ「弱者」の僕には到底できないだろう。


数万人以上のフォロワーもいなくて、月100万稼げる能力もない。大企業の安定は、数十年続く保証はなく、大企業に入ったとて他でやっていけるスキルが身につくわけではない。


そう不安に思った僕は、「安定」を手に入れるために、「会社や国に依存しないスキル」を手に入れようとおもった。


それは


プログラミングスキル


である。


プログラミングスキルを身につければ、会社に依存せずに生きていける。この会社やばいと感じたら、すぐにでも転職できる。


プログラミング人材需要は年々増してて、食いっぱぐれることはしばらくないだろう。


供給不足なので、時給や単価は安くない。


技術力を上げて、うまくアピールできれば、時給や単価も上がる。


そして、身につけた技術力でサービスを作って、一発当てて大儲けできれば、早期リタイアも夢じゃない。


プログラマーは、世界で供給不足なので、技術力と少しの英語力さえあれば世界中どこでも雇ってくれる。


事故って足が折れても、目と手と頭さえ動けば仕事はできる。


グーグルのアルゴリズムアップデートで、ブログの収益がガタ落ちしたり、会社を突然クビになったり、病気で仕事を続けられなくなっても、プログラミングスキルがあれば、雇ってくれるところは必ず見つかって、生活費くらいは稼げる。


プログラミングスキル自体が「保険」のような役割をするのである。


変化が目まぐるしいこの時代に、「安定」を手に入れたいならプログラミングスキルを身につけるしかないのではないだろうか?


プログラミングは、不安に苛まれた僕にとって一筋の希望の光なのだ。


ということで、早速、稼げるプログラミングスキルを身につけるために、インターンかベンチャー企業で研修させてもらう予定である。


本当の「安定」などこの世には存在せず、人々が作った妄想なのかもしれないが・・・